オトノヒトリゴト・その1〜シェリー/尾崎豊

今回から、新しい連載企画、
オトノヒトリゴト(音の独り言)を、
はじめようと思います。
私が聴いた曲の中から、毎回一曲をネタにして、
あれこれと、勝手に書いていこう!
という企画です。
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音楽系のブログはたくさんありますし、
専門的知識が、私にあるわけではないので、
あくまでも、私と言う人間が、
その音楽を聴いて、どう感じ、
それによって、どんなことを思ったか、
など、
かなり個人的に、思い込みタップリに、
書いていこうと思っています。
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音楽を含め、絵も、本も、
全ての芸術作品は、
その作者の意図とは別に、
聞き手の数だけ、
その感じ方に差があると思います。
同じ聴き手でも、時間の経過や、
その時々の心理状態などで、
変化したり。
聴き手が未熟で、全く誤解していたとしても、
それはそれで、いいんだと思います。
それが、芸術作品の宿命なのかな、と、
思いつつ・・・
そして、私の場合。
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さて、それでは、第一回目の本題へ!
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私は、昭和42年に生まれました。
高校生の頃は、洋楽中心。
ベストヒットUSAという深夜番組を見て、
育った世代です。
そんな私ですが、
邦楽を全く聴かなかったわけではありません。
浜田省吾さん、佐野元春さんなどは、
好きでよく聞いていました。
でも、何と言っても、私の世代では、
尾崎豊さんの存在は、大きかったですね。
記念すべき第一回は、だからこそ、
その、尾崎さんの曲の中で、一番好きな、
この曲にしたんです。
ちょっと古い曲なんですけど。
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尾崎さんと言うのは、
いつも時代や環境に流されることなく、
戦っていた人だと思います。
人それぞれ、抱える悩みや、
戦うべき相手は違っても、
みんな、多かれ少なかれ、
問題を抱え、立ち止まることもあるのです。
その、流れに逆らっている状態を共有できる人、
だった気がしています。
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正しいものは何?と、
彼は盛んに訴えました。
私も、それが知りたかったです。
が、
今になると、正しいものは、ない、
ということが、わかります。
でも、
よりよい答えを探そうとする姿勢は、
共感すべきものだと、
今でも思っています。
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シェリーは、最愛の人に、
飾らない自分の、本音を受け止め続け、
無様な自分を見つめ続けてくれる人の愛と、
その人への、自分の愛情の曲。
今でも、辛いときは、
この曲が、耳の奥で響いてきます。
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(以下、歌詞の抜粋です)
シェリー、
俺は転がり続けて、こんなとこにたどりついた
シェリー、
俺はあせりすぎたのか、むやみに何もかも捨てちまったけれど
シェリー、
あの頃は夢だった。夢のために生きてきた俺だけど
シェリー、
おまえの言うとおり、金か夢かわからない暮らしさ
〜中略〜
シェリー、
俺はうまく歌えているか、
俺はうまく笑えているか、
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されてはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決してまちがっていないか
俺は真実へと歩いてるかい
シェリー、
いつになれば、俺は這い上がれるだろう
シェリー、
どこに行けば、俺はたどりつけるだろう
シェリー、
俺は歌う、愛すべきものすべてに
(コピーライト〜尾崎豊
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どんなことがあっても、前を向いていようとする心。
誰にも理解されなくてもいい、
でも、たったひとり、君がいてくれれば。
君が、わかってくれているという僥倖。
それだけがあれば、前を向いていられる。
この「君」は、実在の女性なのか、
それとも、心の中の存在、
つまり、自分自身、なのか、
それは、別として。
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まだまだ青臭かった高校生の私も、
それなりに経験をつんできた、38歳の私も、
変わりなく、
この曲に支えられていると感じます。
どんな時も、前を向いていようと、
自身を鼓舞し続ける原動力となっている気がします。
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この曲が収録されているのは、
尾崎豊さんの2ndアルバム、「回帰線」。
最後の曲が、シェリーです。
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(終)
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大きな写真を添付している、私のヤフーでの日記はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/rick206xs