変わり行く歴史〜「ダ・ヴィンチ・コード」読書感想文

最近、日本史の世界で、
どんどん史実の見直しが行われていますね。
38歳の私が、学生時代、
足利尊氏肖像画だと教えられた武士の騎馬像は、
今では別人のものとされているし、
源頼朝も、どうやら別人では?と、
言われているそうです。
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今後も、歴史を検証することで、
教科書が書き換えられて行くのでしょう。
歴史それ自体は、もちろん不変のものですが、
私たちの中の歴史知識は、
どんどん更新されて行き、
変わって行くのかもしれません。
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例えば、悪女とされている、
織田信長の妹、お市の方の娘で、
豊臣秀吉の側室であった、淀君
ほんとうに、そうだったのでしょうか?
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為政者が、対抗勢力や、滅ぼした旧勢力を、
悪し様に言うのは、ある意味、当然です。
当時人気のあった、豊臣家から、
その権力を奪った徳川家。
豊臣家の醜聞をばらまいて、
くすぶり続ける豊臣の残党が、再集結する際の、
求心力を殺ごうとするのは、
必要ですらあったのではないでしょうか?
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歴史は、為政者によって作られるという側面。
「為政者」を、「ある意思や動機を持った特定の者」、と、
置き換えてもいいと思います。
戦争の歴史が、加害国と被害国とで、評価のみならず、
事実関係さえ異なることなどが、
その例でしょう。
常に心に置いておきたいものです。
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先月、話題の小説、「ダ・ヴィンチ・コード」を読みました。
非常に興味深い本でした。
私、普段は話題の本って、滅多に読まないのですが、
今回は、大好きなトム・ハンクスの主演映画の原作、
ということで、予備知識として、読んだほうがいいかな?
と言った程度の動機で、読みました。
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最後の、いちばん肝心なところで、
ティービングが、ラングドンに、
クリプテックスを手渡す部分など、
それはちょっと、おかしいなぁ?と思うところが数箇所ありましたが、
それでも、サスペンスとしても楽しめる小説で、
映画も、そちらのほうに主眼を置いてますね。
だから、この作品に関しては、映画を見てから小説、という順序が、
いいのでしょう。
私は、その逆だったので、
話の展開がわかっている分、楽しめない気がしました。
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サスペンスとしての面白さもありますが、
でも、この小説のすばらしさは、
宗教と権力の関係、だと、私は思います。
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宗教は、政治と密接な関係があります。
国を治めるために、宗教を利用する、という実例は、
数限りなく、存在します。
したがって、宗教が、為政者によって、
オリジナルな形から、変化させられていくことは、
十分考えられます。
キリスト教について、どうなのかは、
私は専門家ではないので、わかりませんが、
可能性としては、否定できないでしょう。
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キリストには、マグダラのマリアという妻がいて、
サラという子がいたのかもしれません。
でも、それが事実だとすると、
困る人、または団体があることは確かで、
その人、団体が、事実を隠蔽しようとすることも、
人の世を考えるならば、あっても不思議ではないでしょう。
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多くの人が、人として生きていくよすがとしている、
宗教についてさえ、
権力・・・特定の人、団体の欲・・・と無縁ではないし、
場合によっては、その権力によって、
書き換えられているという事実。
唯一絶対だと思っている教義、人物像も、
実は、権力欲によって、歪められている可能性がある、ということ。
いろいろ考えさせられました。
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ただ、これは、声を大にして言いたいのですが。
今のキリスト教が、仮に為政者によって書き換えられた、
人為的な部分を含んだものだとしても、
その教えによって、多くの人が救われ、
生きる道しるべとなっているのですから、
書き換えがあったことで、キリスト教の価値が損なわれる、
ということには、全くなりません。
宗教は、その成り立ちが問題なのではなく、
その教えが、
信者の心のよりどころとなり得るかどうかが、
重要だと思うからです。
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ちなみに私は、特定の宗教を信仰していません。
知識も、さほどあるわけではありません。
よって、そう言った意味では、
ダ・ヴィンチ・コード」という小説を、
偏見なく読むことができたのではないか、
と、思っています。
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案の定、この本に対する、
宗教的非難の声が、上がっているようですね。
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私は、この本を読んで、
宗教と人のかかわりや、
絶対的、と思われている事象に対する、冷静な観察の必要、
また、歴史というものの不確かにならざるを得ない要素、
などを考える機会を持つことができました。
ぜひ、おすすめしたい本ですね。