「その日」の決意。

rick2062005-05-26

窓から差し込む日の光の中で、
ウチの仔猫、ななが、何かに飛び乗ろうと、
身構えています。
しなやかな姿。小さい頭。
鼻から顎にかけての、ラインの美しさ。
親バカですが、スタイルのいい猫だなぁと、
この影を見ながら、そう思いました。
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もう、なながウチに来てから、
25日が経ちました。
ほぼ1ヶ月。
すっかり、ウチの娘になって、
ノビノビと、生き生きと、
毎日を過ごす、ななを見て、
改めて、ウチに来てくれて、ありがとうと、
心の中で、言ってみました。
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変な話ですが、
この子を、飼うことに決めたとき、
私は、この子の死を、
見届けなくちゃいけないな、と、
思ったのを、覚えています。
ペットショップでみかけて、
かわいいなぁと思って、
妻も、同じように感じているのがわかったとき、
この子の死を、受け止められるかな?
と、即座に思ったのです。
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私には、猫を飼った経験がありませんし、
飼うことを前提とした、受け入れの準備、
例えば、トイレの場所とか、
必要な備品とか、
そういったものも、全く用意していませんでした。
それでも、
この子と暮らそうと決めたときに、
私の中での、唯一の「決意」が、
この子の死を、見届けようと言う、
ただ、そのことだけでした。
それが、一番大事なことだと思ったのです。
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最も、私のほうが、
ななより先に、死ぬかも知れません。
ただ、常識的には、
私のほうが、長く生きる可能性が高い。
だから、私は、
ななの死を、見ることになるのですね。
「そんな悲しいこと、考えなくても」と、
みなさん、おっしゃるでしょうが、
私は、今でも時々、
そういうことを、考えます。
それは別に、心配性だとか、
哲学的なものとか、
悲観的なことを思う性格だとか、
そんなことではないんです。
ただ、
あたりまえのこととして、
そこには、死があって、
別れがあるのだと言うこと。
それについて、目をそらすべきではないし、
目をそらす必要もないと、思っているのです。
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極論すれば、
大好きな、ななの、
死ぬまでの日々を、一緒に過ごせるのは、
幸せなことだなぁと、
そう思っていると言うことです。
私、変ですかね?(笑)
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日の光の中、
ななの表情が消え、その影が躍っている、
そんな情景の中で、
私は、「その日」まで、
精一杯、ななとの日々を、生きようと、
一緒に生きていこうと、
そう、改めて思ったのでした。
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(終)
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