しあわせ?

rick2062005-06-04

ウチの仔猫、ななは、
2月4日生まれなので、
今日は、4ヶ月目の誕生日です。
月単位で誕生日って言うのも変かもしれませんが、
1歳になるまでは、こんなふうに、
毎月、お祝いしたくなるんだと思います。
最も、お祝いと言っても、
何をするわけじゃなく、ただ、
いつもより、ちょっとおいしそうなエサを、
用意してあげるくらいなんですけどね。
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こうやって、節目の日を迎えるたびに、
思うことは、
果たして、ななは、
ウチでの暮らしを、幸せだって、
思ってくれているのかなぁと言うことです。
それは、おそらく、
動物と一緒に暮らしている、多くの方が、
思うことではないでしょうか?
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動物は、ただ、
与えられた環境の中で、生きるだけです。
他の動物の暮らしを知って、
自分と比べたりはしません。
常に、今の、
自身の生活を送るだけ。
選択の余地は、ほとんどないのです。
だから、それぞれが、
精一杯、
その日常を生きているだけなのでしょう。
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私達人間のように、
動物の暮らす様々な環境を知っている目からすると、
例えば、あの飼い主の元では、幸せには暮らせない、とか、
あそこのお宅なら、ペットも幸せに違いない、とか、
比較し、評価することもできます。
でも、それは、動物には、知り得ない世界の話です。
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与えられた場所で、とにかく一生懸命、生きる。
それが、本来的な動物の暮らしです。
そもそもは、
人間だって例外ではなかったのだと思います。
でも、私たちの世界は、
いい意味でも、悪い意味でも、多くの情報があります。
自分の暮らしとは違う、他人の暮らしを、知ることができるし、
比較することもできます。
さらに、
選択の余地も、いろいろとあるのです。
与えられた情報の中で、自分や他人の境遇を考え、
幸せだ、不幸だと、
「分析する」ことができるのです。
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こう考えると、幸せって、なんなのでしょうね?
情報の中の、比較論でしょうか?
分析するようなものなのでしょうか?
そんなものでは、ない気がします。
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幸せって、
主観的なものですよね。
その人が、幸せだと、感じているのかどうか。
それだけ。
だから、実は、理屈を超えた世界なのです。
そして、人それぞれが、
違う「幸せの形」を持っているのでしょう。
多くの条件が満たされないと、完成しない形もあれば、
ある一つのことが満たされるだけで、
完成するものもあるんです。
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情報過多な世の中に住んで、「幸福の要素」が複雑化し、
例えば名誉欲を満たされることによる幸福感、とか、
経済的に恵まれることの幸せ、とか、
そう言ったものが、入り込んでしまっている場合が、
多くあるんでしょう。
「幸せの形」が、複雑化すればするほど、
なかなか完成しないことになるのですから、
幸せを感じられる人は、少なくなりますよね。
もっと、単純なもののような、
気もするのですが。
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幸せは、心が、温かいかどうか、
なのかも知れません。
どんな原因によって、心が温まるかは、
とくに頭脳の発達した人間の場合、複雑で、厄介ですが、
人間以外の動物の場合は、
あるいはシンプルなのかも知れません。
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なな、心は、温かいかな?
そっと撫でてみると、体温を感じます。
体は、温かいようです。
が、
心の温度は、わからないな。
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4ヶ月記念の、今回の写真。
キャットタワーで、
カンガルーの子供になった、ななの図。
その、不思議な姿勢が、
カンガルーのお母さんの袋の中から、
上半身だけを出している子供の姿に、
似ていると思ったものですから。
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(終)
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大きな写真を添付している、私のヤフーでの日記はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/rick206xs