宇土櫓の標準語。

rick2062005-11-19

熊本城と天草の旅〜第2回
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宇土櫓の標準語」
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現在の熊本城の天守閣は、
1960年に復元された、
鉄筋コンクリート造りの城です。
皆さん、ご存知の通り、
西南戦争のときに、
戦火に消失してしまったからです。
外観は、当時のままを、
忠実に再現しているそうなのですが、
やっぱり、オリジナルじゃないのは、
残念ですよね。
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でも、
その西南戦争の砲弾を浴びることなく、
無事に現存している建物が、
実はあるんですが、ご存知でしょうか?
それが、今回の写真の、
宇土櫓(うとやぐら)です。
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天守閣に登る観光客は多いのですが、
こちらに登る人は少ないようで、
私たち夫婦が訪れた際も、
ほとんど貸し切り状態でした。
もったいないなぁと思います。
1600年前後に建てられた、美しい櫓は、
外から眺める美しさもさることながら、
建物の中に入ると、磨り減った、黒光りする木材が、
流れた時間を感じさせてくれます。
熊本城へ行かれる際は、
ぜひ、この櫓に登ることを、
おすすめします。
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「あそこが、田原坂です」
宇土櫓の最上階で、外を眺めていると、
多くのシワを湛えた顔に、
ほのぼのとした微笑みを浮かべて、
話しかけてくれる人がいました。
観光客のために、ボランティアをしてくれている、
おじいちゃんです。
のんびりと、朗らかに、
城の歴史や、ちょっとした言い伝えなどを、
いろいろ話してくれました。
とても楽しいひと時でした。
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おじいちゃんは、
標準語で話しているつもりなんですが、
その話し方は、しっかりと、
九州弁の影を残していました。
その、伸びやかな声で語られる標準語が、
私の、忘れかけていた記憶を、
呼び覚ましてくれたのでした。
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私の母は、福岡県大牟田市の出身です。
幼少の頃の私は、母方の祖父母に、
とてもなついていたようで、
夏休みは、長い間、
その祖父母の家で過ごしました。
当時の祖父母の家は、千葉だったのですが、
歳をとってから、千葉に越したので、
当然、二人とも、普段は九州弁でした。
ただ、私が遊びに行っているときは、
極力、標準語を使おうとしてくれたものです。
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その時の、祖父母の話し方が、
宇土櫓に響いていた、おじいちゃんの標準語と、
とてもよく似ていたのです。
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人は、モノを感じる際、
五感の中でも、視覚に頼る傾向があると思います。
だからこそ、それ以外のもの。
例えば、嗅覚や、触覚、
そして、聴覚などと結びついた記憶と言うのは、
とくに強く、印象に残る気がします。
写真を見て、過去の出来事を思い浮かべる以上に、
香りや、音を聞いて、思い出す記憶は、
ある意味、強烈なものなのではないかと。
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私に、惜しみない愛情を注いでくれた祖父母。
宇土櫓の標準語は、
鮮烈に、
今は亡き、おじいちゃん、おばあちゃんを、
二人が私にくれた、温かいものを、
私の中に、二人がいるということを、
思い出させてくれたのでした。
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(終)
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大きな写真を添付している、私のヤフーでの日記はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/rick206xs