歴史の澱。

rick2062007-04-28

連載「2ストロークの街」〜第8回
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「歴史の澱」
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2006年の年末台北旅行記
今回が、連載8回目です。
前回記事は、
http://blogs.yahoo.co.jp/rick206xs/47732709.html
こちらです。
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かつては、日本人にとっては危険な地域とされていた、
ここ、迪化街(てきかがい)。
台北の、観光スポットのひとつです。
街には、歴史を感じる建物が並び、
漢方薬や乾物の店が並んでいます。
写真上が、その建物の様子。下が店頭の様子です。
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迪化街は、元々は淡水川の港町として栄えた街です。
前回記事で紹介した通り、
集積された輸出品を、河運によって積み出すところで、
19世紀後半には、多くの外国人の邸宅が並んでいたそうです。
その頃の洋館は、ほとんどなくなっているのですが、
それでも、台北の他の地域と比べると、
古い建物が多いところですね。
歴史を重ねてきた場所の持つ、独特の空気があります。
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日本人にとって、危険といわれていたのは、
戦時中、ここが、「非武装抗日運動」の拠点だったから。
現在は、もちろん、反日的な雰囲気は感じません。
安心して、観光できる場所ですよ。
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迪化街が背負う歴史の中で、最も重いものが、
1947年2月27日に起こった、「2・28事件」です。
日付、誤りではありません。念のため。
複雑な歴史背景を述べて、詳細を説明することは、
ここでは省略しますが、
台湾を訪れるのなら、他のサイトで、
ぜひ知識を得て欲しいと思います。
これは、私の個人的なブログですから、
あえて、誤解を恐れず、簡単に説明すると、
大戦後、日本に代わる統治者として、
大陸からやってきた蒋介石政権の人々(外省人)と、
清朝時代から台湾に住んでいた人々(本省人)との衝突、です。
当初、外省人は、本省人を軽視し、圧政を敷いており、
本省人の不満が蓄積していました。
そんな折、
迪化街で、外省人官吏が本省人の婦人を殴る、という事件が起こります。
これに対して本省人が抗議、外省人が発砲、本省人の大規模なデモ、
外省人の軍事発動、本省人の官公署制圧、外省人の大陸の軍隊導入と経過をたどり、
最終的には本省人は大量虐殺され、外省人の恐怖政治が始まることになったのです。
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華々しい時代、闇の時代。
いろんな時代の空気が、街の底に、澱となって、
こびりついています。
それでも、現代の人々の暮らしは、
また新たな空気を、この街に、
与え続けているようで。
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ひたすらに、乾物や漢方薬が並ぶ道。
人影は、それほど多くないのに、どの店も、豊富に商品を並べていて、
通りの影には、他の市場では見かけない、高級な日本車があったりもします。
その駐車スペースの前では、何かが茣蓙の上に干されていたり。
私の行った、台北の、他のどの街にもない雰囲気が、
ここには、あります。
交通の便がいいところではありませんが、台北を訪れるのでしたら、
ぜひ、行ってみて欲しいと思います。
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この連載、今回が8回目ですが、
全部で10回の連載を予定しております。
あと2回、よろしかったら、
引き続き、お付き合いください。
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(終)
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大きな写真を添付している、私のヤフーでの日記はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/rick206xs